音楽の部屋                                    [ 作曲家別index ] 更新2004年11月6日

 [  移り変わり (2004年5月29日記)  ]

  [  名曲喫茶渡り歩き 2004年6月17日記) ]


 

名曲喫茶渡り歩き 2004年6月17日記

 

 

 

 

 もう30年近くも昔のことになる。札幌に住んでいた頃、何もすることがないと通っていた喫茶店があった。一つは、北大の正門前の路地にあった「コンサートホール」、そしてもう一つは、やはり北大通の通りの裏にあった「クレモナ」、最後に狸小路7丁目の「ウィーン」。自転車で通える先の二つの喫茶店は、毎日のように顔を出していた。「ウィーン」の方は、街中まで出たついでには、それでも欠かさず立ち寄ったものだ。

 この三店の名曲喫茶が、当時は意識しなかったが、今になってその性格の違いが思い返されてくる。これらの思い出の名曲喫茶が、今はどうなっているのか分らないが、少なくとも当時の私にはかけがえのない心のオアシスとも言える存在だったことは間違いない。

 「コンサートホール」では、リクエストも結構したものだ。それというのも、あまり客はいなかったので、まるで自分のオーディオルームのように利用していた。客のほとんどは、静かに読書をしたり、なにやらノートを広げてひたすら書き込みをしているものもいた。私のように、怠惰な格好で、聴き入っているものは、それこそ少数だったように思う。

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 それでも負けじと、近くの古本屋で買ったばかりの本を開いたりして...。変な見栄を張っていたものだ。雪の多い日、苦労しながらそこまで自転車でたどり着くと、表に何台かの自転車が駐輪してあった。このときは、がっかりしたものだ。まさかこんな日にも、と。大雪で、この店は私の貸切にでもなっているかのように思い込んでしまう。そんな都合のいい期待が、駐輪してあった自転車を見ると、蹴飛ばしたくなることも多かった。他愛のないことだと思う。

 逆に「クレモナ」の方は、夏の印象が多い。それも、今度は古本屋の帰りではなく、山の行き帰りに立ち寄ったことを、よく思い出す。この名曲喫茶は、静かに音楽を聴くというより、学生達の談笑の場の観が強かった。そして、カウンターでマスターと音楽談義をしながら、同じ曲を違う演奏家で続けてかけてくれたりもする。フルトヴェングラーの第五だ、いや、トスカニーニのエロイカだ、などと自分のベストクラシックを主張し合った。他の客には、迷惑この上もないことなのだが、まるでそんなことには無関心に、それぞれが会話に夢中になっているし、私たちもそこまでの気遣いは、まったくなかった。

 名曲喫茶の雰囲気を充分漂わせている「クレモナ」、しかしざっくばらんな開放的な雰囲気を堪能できるありがたい空間だった。こうした店でないと、客は寄り付かないのかもしれない。喫茶点で一人音楽を聴き入っている光景は、どことなく不思議な感じがする。名曲喫茶といえども、「喫茶店」にはかわりないのだから。

 「ウィーン」となると、これこそ名曲喫茶の正統派なのかもしれない。賑わう狸小路のはずれ...当時はこの狸小路のアーケードも、7丁目までしかなかった。今はわからない。4丁目が地下鉄の駅もあり、そこを中心として東西に延びているのだが7丁目まで歩くと、人気も少なくなってくる。「ウィーン」は、地下にある名曲喫茶だった。この名前も素晴らしい。音楽の都の都市名を付けただけのことはある。私が通った名曲喫茶の中で、一番その雰囲気に馴染めるのが、この「ウィーン」だった。座席は、すべてが正面の大型のスピーカーに向かっており、ただただ鑑賞するためにだけの喫茶店。確か記憶では、飲み物はともかく、食べるものと言えば、トーストしかなかったような...。著名な指揮者たちのポートレートや、オーケストラのパネル。座っているだけで、どこかの音楽会に来ているような錯覚もしてしまう。普段の自分を離れて、ちょっと高尚な気分を味わえる。そんな憧れを満たしてくれる喫茶店だった。

 

 数年前、東京新宿の由緒ある名曲喫茶「スカラ座」が閉店になった。私も、一度だけだが行ったことがある。5年ほど前だったと思う。その頃の私は、札幌時代と違って名曲喫茶にそれほど愛着はなかった。好きな音楽は、充分自宅でも堪能できたし、東京での生活は、わざわざ街中の馴染みの喫茶店を求めるほどの余裕もなかった。そんな時、ふと懐かしくなって、新宿に出たついでに、噂の「スカラ座」に入った。しかし...私が抱く名曲喫茶のイメージとは、随分かけ離れていた。おそらく以前は「ウィーン」のような感じの喫茶店だったと思う。そんな風格は充分にあった。しかし、そのときの「スカラ座」は、もう普通の喫茶店でしかなかった。私の妄想かもしれない。名曲喫茶は、こうあるべきだ、と決め付けている。それにしても、このとき受けたショックは、以後そばまで通りながら、再び中に入ることもなかったのだ。BGMとして流れる音楽。客は確かに静かだし、みんな音楽愛好家のように見える。でも、何か雰囲気が違った。

 同じ東京でも、もう20年前になる中野にあった風変わりな名曲喫茶は、今でも行ってみたいところだ。名前は忘れたが、ガラクタばかりが店内に置かれており、水はワンカップの空きカップ、ミルクは、マヨネーズの赤いキャップ、出された珈琲カップは、必ずどこかにひび割れがあった。二階に上がる階段も、そっと歩かなければ、手摺ごと崩れ落ちてしまいそうなほど古く、客がこんなに気を遣う喫茶店は、他にはないだろう。でも、そこで流れる名曲の数々は、その時代の雰囲気を彷彿とさせ、不思議な魅力があったことは確かだ。今は、どうなっているのだろう。

 もう一つ、東京での思い出。これは22年前のこと。渋谷駅の高架下の路地に「田園」という名曲喫茶があった。そこには、何故か松葉杖を使用して通った自分の姿しか思い浮かばない。何度も行った喫茶店なのに、思い出すのは...松葉杖にすがる私の姿。ちょうど山での事故で両足を骨折し、そのリハビリの最中だった。何とか松葉杖を使用すれば歩ける状態になり、その練習で街中に出かけたものだ。その時、目的地を、この「田園」に決めていた。駅の構内の階段の上り下り。歩道の歩き方。人で混み合う中での歩行...。しかし「田園」に辿り着いたときの、あのような安堵感はもう二度と味わえないだろう。

 「田園」は、入り口がちょうど階段の踊場のような位置にあった。半地下、そして中二階にそれぞれのテーブルがあり、BGMにクラシックを流す喫茶店だったが、もう今はない。

 

 札幌も、東京も、私が親しんだ名曲喫茶のほとんどは、もうないのかもしれない。いつか、また探しに行きたいと思う。

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移り変わり (2004年5月29日記)

 

 

 

 私が最初に好きになった曲は、シューベルトの「未完成」。中学二年生の頃だったと記憶しているが、従兄弟に勧められて聴いたのがきっかけだった。それまで、ピアノを弾いていたことから、クラシックにはある程度の興味しかなかった。

 

 そんな私に、クラシックにのめり込むきっかけを与えてくれたのが、この「未完成交響曲」ということになる。地の底から湧き上がってくるような響きに魅せられた。「未完成」というタイトルがまた、中学生の私を引き入れるものがあった。

 

 

 それからの私は、毎月毎月小遣いを全部クラシックレコードに費やし、次第にコレクションも増えていく。当時はLP盤が主流で、店でジャケットを一枚一枚めくりながら、気に入ったレコードを探すのが楽しかった。LPが収納されているBOXを上から覗き込むようにめくっていくのは、今のCDを探すのとは違う楽しさがあったと思う。

 そう言えば、FMなどからの録音は、やはり今は懐かしいオープンリールのデッキで、中学生の私には、編集など困難極まりない作業だった。ところが、それがまた楽しいのだから、好きなものは、どんな困難がつきまとっても、すべて楽しみに変えてしまうのだと、今にしてつくづく思う。

 

 

 

 

 

 

 「移り変わり」をテーマに、今日は書き始めたので、そのテーマの趣旨に沿って書こう。

 

 私の場合、大規模な編成のオーケストラ曲に魅せられてクラシック遍歴は始まったのだが、いつの間に室内楽曲に変わっていた。

 

 それは、ワーグナーの楽劇にしばらく夢中になったのが、ピークだったと思う。その後の日々の鑑賞の中で、ほとんどがソロやアンサンブルに変わってしまった。その傾向は今でも続いている。

 

 やがて、バロック音楽が流行りだすと、引きずられるようにして古楽器を使った演奏に惹かれ始めた。何故か郷愁を感じさせる響きが、私の心に沁み込んできた。今の私は管弦楽曲はBGMになってしまって、何気なくかけた室内楽のCDは、そのまま聴き入ってしまう。

 

 ただ、最近...何だかまたベートーベンの交響曲が好きになってきだして...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、書き出しなので、この程度のことで止めておきます。好きな曲とか、好きな作曲家などのこと。それでぺージを作っていきたい。

 

 

 

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